ソノヘソ 


へっぽこな日々のこととその場の思いつき
by ソノヘソ
プロフィールを見る
画像一覧

解放の手立てと出す手続きは偉大だ

ニュース・評論


今週の大人の小論文教室で一番残ったのが

よいマニュアルは解放の手だてを用意してくれる。

そのフレーズで思い出すのは
高校時代演劇部で練習としてやっていたエチュード
お題が与えられ二人で即興演技をしあう。
例えば、駅で人を待つ、夏休み、昼寝をしている猫、お祭りでの恋人
守らなくちゃいけないルールは相手のリアクションを否定しないこと
それだけ。
たったこの二つの制約が
想像力の懸け橋になる。

なんのお題もルールもないとき
高校生の私たちはうろうろざわざわ
にやにや笑って周囲をうかがったり
手元にある台本を読んでみたりするだけだった。
でも、講師がエチュードとして
お題とたった一つのルールを設定するだけで
私たちは動き出す。
子供の遊びみたいに際限なくセリフは溢れ出し
観客役の仲間も夢中になる。

アウトプットのきっかけがあると
驚くくらいやりたいこと、伝えたいことが噴出してくる。
ないとふん詰まりで高校生の私はどうしていいかわからなかった。
うずうずしてるけど糸口がわからない。
できない、とは思ってない。
想いが大きすぎてどこから手を着ければいいかわからなかっただけ。
その大きすぎる想いに印をつけるメジャーがお題とルールだった。
印があれば、取り出し方がわかる
ああも、できる! こうもできる!
まったくの無からなにかを取り出すのは
よほどの才能があるか、訓練された技術者でないと無理だと思う。

マニュアル本にも上出来なものはあって(失礼な言い方ですが)
それは枠を示して、読者を遊ばす余裕をもたせてくれるもの
よい問い、を含んでいるもの
スーニーさんの言う
良いマニュアルは解放の手立てを用意してくれる。
ああ、たぶん良いマニュアルは加工品でなく生ものなのだ
だから高校生の私たちは生き生き摂取して栄養にできたのだ
金時豆子さんの言う、「出す手続き」はすごく有効
大人の補助があって
はじめて私たちは駆け出せたのだと思う。

ズーニーさんの講座でのインタビューワークでも
この「出す手続き」「解放の手立て」
を強く感じる。
決められた質問に答えていくことで
私の中にルーラーや座標軸が作られていく。
それがあれば人前での発表もできるし、800字に文章にもまとめられる。
きっかけがあれば表現ができるというのは
子供でも大人でもだれでも同じだ。
# by sonoheso | 2011-11-30 19:16 | 考える筋トレ部

脈をみて、体をみて、全部をみて。

旅行・地域

アーユルヴェーダの最初の診断は脈診だ。
そして毎朝毎晩の回診でも脈をとる。
どうやってやるんだろうな、と思いながら脈を取られていたら。
ドクターが「自分で脈を取ってみて」と言った。

ドクターたちは勘が鋭い。
秘密のイベントを企画して、秘密で進めていると、その現場に入ってくる。
特定の誰かにサプライズプレゼントを制作していると、その本人が入ってくる。
こっそり泣いていると気づかれる。

なにかそういう訓練でもしているんじゃないかというくらい勘が鋭い。
それもなんか医者の特質なのかもしれない。
そんな感じで脈の取り方を教えてもらった。
手首のとう骨の指二本下に人差し指、中指、薬指を置く。そして全体の印象を感じる。
体全体を巡ってきている脈をつかむ。

もちろん専門的にはいろいろあるみたいだけど、初心者なので、脈を感じ取るところから始める。
自分の脈を毎日とっていると、変化がよくわかる。
食べ過ぎた、動きすぎた、よく寝た、寝ない。
それらがはっきりと現れる。

同時期に入院していたほかのメンバーの脈も取らせてもらう。
夜の雨音みたいに静かな脈。暴れ太鼓みたいな脈。そわそわした猫みたいな脈。
全員違う。

お互いに計りあって、受けた印象をいうのもおもしろい。
言われたことは頷きあうところがある。
それを三日後一週間後にまたやる。
パンチャカルマが進むごとに脈がよくなる。
リズムが整い、力強くなり、三本の指に触れる脈が同じ強さになる。
脈は体の一部だけど、一部からでも体の全部がみえてくる。

そんな感じでお互いに脈を取り合って遊んでいた。
クリスマスも過ぎ、年末も近い頃。
日本では師走気分絶好調だろうけれどインドでは相変わらず、温く、牛がうろうろしているだけ。
「わー変わった」「元気だー」「なんかふらふらしてる」
と騒いでいたらば、24時間勤務のドクターが二人入ってきた。
一人は女のドクターは入院当初からいた。
もう一人の男のドクターは4日前くらいから登場したドクターで、背が高くハンサムで高そうな派手な服を着ている。
触診が強すぎて、質問が意味不明なので私は勝手に「ばか坊ちゃん」と呼んでいた。

女のドクターは私たちが触診しあっているのに目を留めた。
ちょっとこの女ドクターは調子良すぎるというか、裏表あるなというか、馴れ馴れしすぎるというかそんなところがある。
一同、目をあわせないようにする。
「あら、何をしているの? 脈診?」と女のドクター。
「ああ、うん」
「練習でもしていたの?」
「まあ。そんな感じ」
女のドクターは腕を差し出した。「あら、じゃあ私の脈をとってみて」
脈を取ってみて?
ドクターの腕は私の目の前にある。
ふふん、どんなもんかみてやろうじゃないって顔をしている。
これは挑戦か、挑戦だ。

私はカウンセラーだ。
脈だろうがなんだろうが情報を読み説いて、それを伝えるってんなら、得意分野である。
日本人ごときと舐められては沽券に関わる。受けてたってやろう。

と言うわけで、脈を取った。
感じるがままを言った。
私は英語が堪能ではない。
しかしそのときの入院メンバーにはプロの通訳さんがいた。
彼女の助けを借りて、彼女の精神状態や気にしているだろうこと、体のおかしそうな箇所を伝える。
「全部当たってる。何でわかったのよ!」女のドクターは目を丸くしていた。
「いや、脈でわかった」
「そうだ! 私の行動を観察していたからわかったんでしょう?」
彼女のことなんか興味ないから、観察しない。
そう説明しても、彼女は納得しない。
埒があかないのでこう提案した。
「じゃあ、後ろのドクターの脈診するわ。彼とは2回くらいしか会ったことないからね」

ばか坊ちゃんはにやにや笑いながら腕を差し出した。
いい骨、いい筋肉、いい時計だ。
小さい頃の栄養環境のせいなんだろうけど、マウシーさん(下働きのお手伝いさん)は細くて小さい人が多い。
140センチ台前半が平均だと思う。
ドクターたちは比較的体格が良い(そして賢そうな顔つきをしている)
けれど、160センチあるかな? という背の高さだ。

ばか坊ちゃんは日本人と遜色無い体格だ。
背は180センチ越えているし、ジムで鍛えているような筋肉の付き方をしている。
アメリカだったらアメフト部でチアガールのブロンド彼女がいるんだろう。
そういう種類の人間だ。
で、ばか坊ちゃんの脈を診ながら、感じたことを言った。
これは同僚のドクターがいる前で言うのはまずいかな? と思うこと
(たとえば勉強不足で焦っていて、身の置きどころが本当にない、とか、プライドみたいなのが邪魔してコミュニケーションに問題が、とか)
も伝えた。
それだけじゃ悪いので、素直さと体の丈夫さと頭はいいこと、も伝えておいた。

端から見ていた子の証言では、はじめはにやにやしていたばか坊ちゃんだけど
最後は目が潤んでいたそうだ。
「で、どうだったの? 当たってた?」と女のドクターが聞く。
「4割くらい?」とばか坊ちゃんは言う。

嘘だ。全部当たってるだろうと思った。
二人のドクターがでていった後、他の入院メンバーも
「あれは10割だったね」「ここで10割と言えないところがね」「ねえ」
と言っていた。私の思い上がりではないと思う。

脈診はそのあと回診によく来ていたドクターにもした。
脈診を教えていてくれてたし、
ちょっとしたお礼も込めて本気の脈診というかカウンセリングをした。
終わった後ドクターは「100%その通りだ。やり方教えて」と言った。
素直な奴だ。

あとびっくりすると脈は跳ね上がる。
嘘発見器もこの原理だな。感じたことを伝えていくと、本人の心当たりがあるところで脈が蛙みたいに跳ねる。おもしろい。
 
プロとして脈という情報の読みとりと解読を行えた。
インド人もびっくり。日本人の面目躍如である。
基本と原理の応用は大事だね。
a0133442_2018469.jpg

# by sonoheso | 2011-11-30 17:44 | へっぽこインド滞在記

批判は私を育てなかった

アートな秋&自分磨きの秋を楽しむなら?


「批判は私を育てなかった」

このところ通っているスーニーさんの講座での言葉
なにかを作りだそうというとき
批判はくじく
その勢いを、やる気を、生み出すためのエネルギーを

すべては踏みつぶされ
傷を修復するのに一生懸命になる
それはかわいそうくらいに必死な生命反応

世間の流れ的に
「きつい批判もしてあげるのが誠意であり愛情」
というものがある

「これ、きついけれど、あなたのためを思って言うのよ」
ずばずばずばずば言いまくる。

相手に沿ってないよ。
自分の理屈を押し通して他人の気分を害したね。
ここも、そこも足りないんじゃない?

そうですか、そうですね。きっと私が悪いんです。
殻に閉じこもり自問自答。
本当に? 私そんなに未熟?
批判をされたら受け止められるくらいの器量を見せないと
ちっさい人間と思われる
これ以上評価を落としたくない

でもそれ以上に傷つきたくない
だって心の傷口から血がぴゅーぴゅーでているよ

そうしてその相手に近寄らなくなる。
あの人は私を傷つける
あの人は私を評価するとき、私以外の人の発言を重視する
あの人は私のアイディアを誤解する
だから心の門を閉ざしてしまおう
これ以上生命力を失いたくない。

力を合わせてひとつのものを作り上げようとしていたのに
もう無理。
そんなにあなたが詳しいのならあなたに任せよう。
わたしは未熟で、大したこと出来ません。
もういいでしょ? 家に帰りたい。

相手の力を引き出すのは批判ではない
共感だ
あなたはなにをいいたいの?
ここで何を成そうとしていたの?
根っこにあるものはなに?
それを探ろうとすれば
自然と二人の間に橋が架かる

あなたは、こう考えていたの?
ええ、そう。こうも出来ると思うの。
自分のいうことが理解されたとき
人は理解という喜びに満ちる
心の扉は開き
アイディアはあふれ出す
ここは安全
私はあなたの役に立ちたい
だから、私の持ち物をすべて活用しよう
自分のさらなる力を振り絞る
限界を超えようとする

なにかを産みだそうというなら
批判はいらないのかもしれない
自分自身にも批判は不要

批判をするのは怠け心があるからだ
「もう出来ないよ。どうせこの程度」
自虐的に申し開きしておけば
だれも自分を傷つけない
自分も変わらなくていい
それは楽、すごく楽

自分自身にも共感と理解をしてあげないと
自分が干上がってなにもしたくなくなる

他人にも、自分にも
批判を封じてみよう
# by sonoheso | 2011-11-29 21:29

ほくろがとれる。いや、とりかけたけど……斜め上だよインド人。

旅行・地域

三週間に及んだトリートメント終了まで後三日。
年末。
でもインドは暖かいから日本人としては年末気分が盛り上がらない。
勝手にイベントを企画して(お年玉おみくじと日本語指さし帳制作)忙しいのだけど、
いかんせん曜日感覚もないし、頭はぼーっとしてる。
そんな中サダナンダ先生の回診時に、あごの下の大きなほくろをつままれた。
「このほくろをとることに、問題あるか?」
「ないです」
ということで、ほくろをとることになった。
クシャーラという治療で外科の範疇にはいるそうだ。
担当医するのも外科が得意なドクターだ。

ほくろをとるというのでてっきり治療室的なところでやるんだろうと思っていた。
私の病室のベッドで外科のドクターが真剣な顔で人のほくろを眺め、
私のベッドの上に注射器やアルコール脱脂綿やゴム手袋を並べだしたときにはびっくりした。
ドクターの後ろにはひよっこドクターが4人、これまた真剣に見学をしている。
 
ドクターがほくろをアルコールで消毒する。日本のアルコールより度数が高いのか匂いがきつい。
そのままためらいなく注射針でほくろを刺す。
「痛いわよ。でもちょっとだけ」
と刺した後に言われた。
確かにちょっと痛い。
釣り針にかかった魚の気分だ。
傷口が見えないので想像だけど、感触としては針を刺さしたまま傷口から薬草の粉が入れられた。
ぐりぐりと。

傷口に白い絆創膏を貼られ「二時間後にはがすように」とのお達しを受けた。
 若いドクターのギタンジェリが「私が絆創膏をはがします!!」と立候補する。
勉強熱心な若いドクターはこうしたちょっとしたことも観察と実践の場として活用している。
ドクターギタンジェリも真剣にはがし、真剣に傷跡を観察していた。
ドクターギタンジェリは仕事が丁寧。
はがすのも、傷跡を拭うのもやさしい。

そしてクシャーナ後のベッドにはなんかの薬草の粉やアルコール綿や血の付いたガーゼが落ちたままなのがインドらしい。
「マウシーに掃除させるから」
と、ほったらかしでドクターたちは帰っていった。
ちょっとは自分で片づけろよ、と日本人は思う。

これが三日続いた。
そして今日がパンチャカルマ最終日だ。
鏡で見ると確かにほくろは乾燥して縮んできた。
でもとれそうではない。
回診の時に部長のマダムガヤルに聞いてみる。
「あの、ほくろは本当に今日まででとれるんですか?」
「とれないわよ。小さくなるだけ。ちゃんととるにはトリートメントのはじめからやらないとね」
 と、院長のマダムガヤル。
 びっくりした。
 本当にびっくりして、
「そうですかありがとうございます」
と日本語で礼を言っていた。
三日でとれるのかと疑問だったけれど、ヴァマナだって一日で終わったし、アーユルヴェーダはそんなもんだろうと思っていた。
甘かった。インド人は斜め上だ。
ほくろとれないってさ!
「今度きたときとりましょうね」マダムガヤルが微笑んだ。
 
パンチャカルマの治療は大晦日で終わったけれど、
私は帰国が一月四日だったので、その日まで病院に滞在した。
元患者という立ち位置だ。

ドクターギタンジェリの勉強のためか、クシャーナは追加で二日やってくれた。
アシスタントとしてドクタースミタがついた。
ドクタースミタは小柄で笑顔がかわいくて日本人に興味津々。
気遣いが細かい二人組だ。

ドクターギタンジェリは施術が丁寧だった。
シーツが汚れないように顔の下に布をしこうと思いついたらしい。
それは画期的な思いつきだ。
今まではこぼれっぱなしの散らかりっぱなしだった。
ドクターギタンジェリは適当な布がないと眉をしかめ、
ドクタースミタが干してあった私のハンカチをいい笑顔でもってきた。
ドクターがしわを伸ばしながら顔の下にハンカチを敷く。
「私の使うんだ・・・」と思ったけどつっこめなかった。

ドクターギタンジェリは薬草の粉をぐりぐり入れる。
しっかり中まで詰め込む。
絆創膏貼った後、ちゃんと薬草の粉を掃除していった。
 
帰国後、乾燥していたほくろがとれた。
大きさは三分の二位になった。
たいして痛くもなく、粉詰めただけでとれた。
これは初日からやったら、本当にとれてたと思う。

a0133442_19181083.jpg

# by sonoheso | 2011-11-29 18:00 | へっぽこインド滞在記

いいものは眠らない編集する

ブログ

店でも物でも人でもいいんだけれど
知られてないけどすごい!
惜しいところがあるけれど大したもんだ!
って状態
秋に埋められていた球根が
春に芽吹くみたいに
花開き
皆に必要とされるときがくる

足りないものは補われ
未熟だったところは成長する
小細工なんかしなくていい
掘り出したまんまの芋ころみたいに
素材が唯一無二になる

昔から知っている身には
やっとかよ!な誇らしい気待ちと
私だけのものであって…な寂しい気持ち
両方混ざり合う

でも世界のために
よきことは認められて欲しいのでした
# by sonoheso | 2011-11-28 21:09 | へっぽこな日々
カテゴリ
以前の記事
ライフログ
検索
お気に入りブログ
外部リンク
最新のトラックバック
タグ
人気ジャンル
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧