ソノヘソ 


へっぽこな日々のこととその場の思いつき
by ソノヘソ
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カテゴリ:へっぽこインド滞在記( 13 )

一年たって思うことは案外変わらない

旅行・地域

パンチャカルマに行って、
帰ってきて、
なんだかあれは夢だったんじゃないかと、思う。

牛がのんびり歩いて、
地平線まで荒野で、
うんちが落ちていて、
チョコレート色肌の人たちがバイクで飛ばしている。

賢さや卑しさ、
豊かさと貧しさ、
美しさと醜さとの差。
朝の柔らかい日差しと、昼の暴力的な太陽の差の激しさ。
いちいち強烈だった。

1年たって、震災もあって、体調は乱降下したりもした。
でも、最良の状態を知っているから、大丈夫。
今はちょっとへたれているけど、戻せる。
そんな自信が生まれた。自分の基本ラインを知るってことは大事だ。

英語もろくにできないくせに、インドへ行って、吐いて騒いでいろいろ出して、どきどきだったけど、もう一度行ってみたい。
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by sonoheso | 2011-12-04 17:09 | へっぽこインド滞在記

インドウルルン滞在記

旅行・地域

インド人リアルライフに
あわあわしながらも帰りの時間があるので、さくさく着物に着替えて玉簾をする。

スミタの弟は大学の友達を4人つれてきていた。
ちなみにスミタは私のたますだれを6回くらいはみているのだけど、
3回目あたりからたますだれの口上を覚えてしまい一緒に歌っていた。
2回聞いただけで覚える。
記憶力がハンパない。
日本語パートもあるのに耳コピーだ。

たますだれはスミタファミリーに受けた。
お母さんもお父さんも大喜びで、スミタ弟は携帯で動画を撮っていた。
ちなみに、弟とその友達はすぐに携帯をテレビにつないで動画を見ていた。
こういうところがすごく不思議だった。

このすばらしく清貧な家で、携帯は最新式。
スミタたちの学生寮ものぞかせて貰ったけど、そこも清貧ってか刑務所みたいで、そんなところに住んでいるのに自分用のラップトップパソコンとかを持っている。
そして携帯は当然、動画も音楽もいける最新式。

ただ、家がこういう方が涼しいし、不便がないからこうなだけなんだろうか。
異文化だなあ。

そしてスミタのママ手作りのランチをごちそうになる。
すごくおいしい。
野菜の味がしっかりしていて、よけいなものが入っていない。
病院の食事はマイルドなので、ノーマルインド飯はスパイシー。でもおいしい。
スミタの手で食べる所作の美しさを盗み見しながら、真似してみる。
触感ってのも大事だ。

ご飯のあとは近所のシヴァ寺院に参拝する。
ピンク色のカラフルなシヴァ寺院もいいけど、その前にあった施し小屋に描いてあった絵。
筋肉もりもりのパンツ一丁の親父。落書きではない。
アーユルヴェーダではいい筋肉はいい消化力をもたらす、と考える。
私なんかは消化が弱いから、肉や魚を食べるなら、筋肉つけろ、マラソンしろ、ジムへ行けといわれた。
「これってグッドマッスル、グッドアグニ(消化力)ってこと?」
「うん、そう」スミタは答えた。
なんか、寺院の付属物に裸のマッチョを描くセンスってのがすごすぎて、よくわからない。

サンダルを脱いで参拝をする。
シヴァ信仰の場合ご本尊はシヴァリンガム。
男性器と女性器がどーんと置いてある。

そこは鍵がかけられていて、鉄格子から覗くのみ。
なぜだかついてきた近所の子供らと、シヴァ寺院のなかで記念撮影をする。
寺院をでようとしたら、スミタのママが息を切らしながら走ってきた。
「鍵借りてきたから、中まで入れるわよ~~~」
と、言うわけで中に入った。
中は暗くてお香の匂いがして、草や花が捧げられている。
シヴァリンガムの上には銅製のポットがつるされていた。
これはお祭りや儀式の時、牛乳を垂らしたりするためのものだそうだ。

スミタのペットの犬と戯れ、村の雑貨屋さんで買い物をした。
時刻は5時近く、帰り道は三時間かかるからもう帰らなくてはならない。
スミタの両親にお礼を述べ、お別れの挨拶をする。スミタはお父さんの足におでこをつけて挨拶をする。
驚愕する私たち。
え? 私たちもやるんですか? 
と聞くとしなくていいよ、と手を振るスミタとスミタパパ。

父親が絶対というのは、今もそうなんだな。
スミタは高等な教育を受けているけれど、
娘の時は父に従い、結婚しては夫に従い、夫が亡くなれば息子に従う。
それはいまでもそうみたいだ。
スミタにいつ結婚するの? と聞いたらば、はにかみながら
「それはこの人たちが決めることだから」
と両親を示した。
インドの結婚は今でもお見合いが圧倒的多数で、同じカーストの人と、占星術をみて相性を確かめ、価値観を話し合って結婚するそうだ。
気が遠くなった。

タクシーに乗って帰りながら、インドの生活の昔と今の混じり具合をうまく飲み下せない。
伝統的な家屋とハイテク機器。
家族関係と女性の社会進出。
カーストと人付き合い。
スラムと現代的な建築。
ぼろぼろの物乞いと賢く純粋なドクター。
そして貧富の差。

よくわからない。よくわからないけど、何かが引っかかる。
日本と同じ問題もかかえているし、日本がとうに通り過ぎた問題もあるし、日本が失ってしまった知恵や、保存されている英知もある。
光と影と言えば簡単だけど、時間をかけてじわじわこの違和感の正体がみえてくるのかも。

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by sonoheso | 2011-12-03 16:59 | へっぽこインド滞在記

正月にインドの市場でうろうろする。

旅行・地域

インドの市場で買い物。
トゥルシーバという市場は言うなればアメ横。
人混みもお店の大きさも、雑多具合も。
手を引かれながらじゃないと、迷子になる。

驚いたというか当たり前なんだけれど
、町にいるインド人はアメ横あたりをうろうろしている日本人と変わらなかった。
病院にいるドクターたちがあんまりにも賢すぎて、インド人別次元と思っていた。
でも考えてみれば彼らは超エリートな訳で、普通の人はふつう。
こすっからそうなのや、鈍そうな人、間抜けそうな人、いろいろ。

昼間に外をうろうろすると疲れる
。朝や夕方は涼しくても昼間は暑い。
外出日は曇りで気温が通常より低かったはずなのに、それでも12時から3時くらいは暑かった。
治療後なので、外の食べ物は禁止だったのでお弁当持参。
そうは言っても、つまみ食いしたーいと思ったが、ココナツジュース飲んだだけでおなかいっぱい。無理、入らない。パンチャカルマ後ってのは手強い。

外出二日目はDrスミタのおうちへ行く。
これは秘密ね!と何度も念を押された。
あとで聞いたところによると買い物につきそうのはOKだけど、家までつれていくのは規則違反でばれたらクビらしい。
スミタの家までは3時間半。
遠い。
体力のない身にはしんどい。
でも貴重な休日をつぶして買い物につきあってくれ、
昨日も家に誘われて断ったので、また断るのは申し訳ない。
若いドクターたちは多忙で月に一度しか休みがもらえないそう。
本当に毎日いる。
夜勤もする。
心配になるくらい働いている。
そのうえ勉強までしたり、後輩に教えたり、時間があってもあっても足りないそう。

どうしてスミタの家へ行くことになったのか?
それはスミタに誘われたから。
スミタのお父さんが玉簾をする日本人に会ってみたいって言ったんだって。
まあ、そんな珍外国人なかなかいないだろう。
会ってみたいだろうね!
それに私もインド人のリアルな生活をみてみたかった。
あとスミタにはいろいろお世話になっていたからお返しをしたかった
。クリスマスプレゼントを貰ったし、貴重な休日で買い物案内して貰ったし。

三時間半の道のりは長かった。
とはいえドライブはおもしろい。
なんせずっと病院のあるワゴリにしかいなかった。
ワゴリはすごい田舎で牛がそこらへんを歩いている。
デカン高原の入り口で荒れ地。別に風光明媚ではない。

でも道中見える景色は、雄大な山があり、湖と緑があり、牛がサトウキビを山ほど乗せた車を引いている。美しい。
もちろんスラムや交通渋滞やいろいろある。
でも乾いた土地に水が流れ、植物が芽吹いている様子は本当にきれい。
水を神聖視するのもわかる。
インドは本当にほこりっぽくて靴があっと言う間に砂色になる。

黒くてやせた農民がサトウキビ畑で働いている。
サリー姿でよく動けるものだ。
洋服を着ているのはハイクラスの人で労働階級の人たちはみな伝統的な服。
むごいくらい貧富の差が明らかだ。

やっとついたスミタの村は人口300人くらいの村だった。
道路は舗装されておらず、家は平屋の煉瓦づくりで、牛が歩いている。
道中、一緒に行った日本人の子と話していた。
「スミタん家がああいうバラック小屋だったらどうする?」
「がんばって笑顔でたますだれする」
道沿いはコンクリートの建物のゾーンと、トタンやそこらへんの木を寄せ集めて作ったバラック小屋ゾーンにはっきり分かれている。
バラック小屋の前を通る度に冗談でそう言いあっていた。

スミタの家はバラック小屋ではない。
きちんとした煉瓦作りでアーユルヴェーダの診療所の小さな看板がかかっている。
天井は低く、採光はよくない。
でもインドは陽光を嫌うからそういうものらしい。
壁に塗られたペンキはところどころはげている。
スミタのお父さんはサングラスをかけにこにこ笑っている。
スミタのお母さんは黄色いサリーを着ている。
家の中にすぐ引っ込んでしまった。

家の中に入ろうとしたらば、スミタやお父さんに止められた。
なんだろう? と首を傾げていたらば、お母さんがチャパティと水を持ってでてきた。
ちぎったチャパティを地面に投げ、水をまく。
なんか言葉も言っていた。
「いいよ、家の中に入って」スミタが言う。
お迎えの儀式だったらしい。

家の中は、広さ的には日本の3LDKくらいだった。
小さな待合い所があり、シンプルな木の机のある部屋(おそらくここが診療室)には
神様の像が飾られた棚がある。
患者さんをみるらしいベッドのある部屋をぬけると、テレビのある部屋。
奥には大きなベッドが置かれていた。
おそらくここがリビングルーム。
座れ座れと勧められ、イスに座ると、スミタが水をくれた。
テレビではインドのコメディが流れているけど、日本人的にはシュールだった。

この部屋の次は中庭で空が見えている。
中には水場とトイレがある。
中庭を挟んでもう一つ部屋があって、そこは台所。
竈があってスミタのお母さんがチャパティを焼いている。

インドでは水を個人的に引いていればそれなりのうちと聞いたけど、きっと、ここは村としては悪くない家なんだろう。
でも圧倒された。
煉瓦で、暗くて、中庭も生活スペース。
屋根には草が生えていた
雨の日の中庭はどうなるんだろう?とかよけいなことを考える。

でもスミタの家はお父さんはアーユルヴェーダのお医者さんで、
スミタもお医者さんで、弟は大学生でエンジニアの勉強中だから、決して貧乏じゃないし、
カーストだってクシャトリヤ(武士階級)だし、きっとここは中流家庭ではあるはず。
でもこの家。
インドリアルライフ、すごすぎる。
道理で病院の簡素なベッドを、これは豪華で柔らかいと言い張るはずだ。



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by sonoheso | 2011-12-02 17:52 | へっぽこインド滞在記

帰ってきてからの変化、実際、数字に出ると驚くよね。

旅行・地域

パンチャカルマを終えての変化。
なにが変わったのか、行く前のわたしと、行った後の私。数字的なものでいくと

○体重5、5キロ減

これはヴァマナ(吐く治療)で謎の液体が1、5キロ分でたのが大きい。
で、ヴァマナ後はなかなか消化力が戻らず、液体っぽいものばかり食べていた。
日本に戻って、驚いたのは日本の食事の重たさ。
消化できない。
吹き出物&口内炎祭り。
小食にし、スープを必ずつけることでなんとかやりくりしていた。

○視力が右が+3、左が+2よくなった。

めがねを三ヶ月前に作りなおしたばかりだったのだけれど、パンチャカルマ二週間目を過ぎたあたりから、かけていると疲れる。
これはもしやと思い、はかりなおしたら目が良くなっていた。
正確に言うと度数は右が+2、左が+1で、乱視が無くなった。
軽い乱視がめがねをかけ始めた小五のころからずっとあったのが無くなった。
なのでそれを加味すると+3、+2ぐらい良くなっていた。
はかった眼鏡屋さんは首を傾げていた。
これはたぶんヴァマナのおかげ。
目はピッタの座、ピッタはカパを嫌う。
ヴァマナはカパを出す治療。
よって副作用で目が良くなった。びっくりびっくり。


数字的なものではないけれど、体感できた変化。

○頭脳が明晰になった。

サダナンダ先生に言われていた。
「あなたが怒るのはアーマ(毒素)が頭に詰まっているせいで空回りしてしまうからです。
すべての処方を守れば(それはパンチャカルマだけでなく日々の食事や行動も含まれる)今は1だけれど10できるようになる」
アーマがでた。10では無いけれど、4はできるようになった、たぶん。
まず、段取り上手になった。
処理脳力があがった。
ためらいが無くなった。
ものごとの本質がクリアに見えるようになった。
あと心が穏やかで、周りの人にすこし優しくなった。と、思う。

○鼻が開通し、舌苔の色が変わった。

鼻が詰まらなくなった。
インドへいく前は左がいつも詰まっていた。
カパは鼻を詰まらせる。
カパがでたから詰まらなくなったと推測される。
舌苔がいく前は白っぽかったけれど、帰ってからは黄色になった。
白はカパの色。黄色はピッタの色。変わった。

○あんまり落ち込まない

パンチャカルマの最中と後は感情が揺れ動くので、めそめそしやすくなった。
これは私の場合。すごい怒りっぽくなっている人や恐がりな人もいた。
で、パンチャカルマ最中から「ま、いいか」と思えるようになった。
インドはインドタイムなのでいろいろゆっくりだったり予定外だけど、まあ、いいか。
自分のばかなところもまあ、いいか。
日本でもそんな感じ。
まあ、いいか。肩の力が抜けている。

○体が楽

体が軽い。体重的なことじゃなく、こりがとれた感じ。関節がスムーズ。

○くびれた。体のラインが曲線美。

体重が減ったせいももちろんある。
ヴァマナあとに部長のマダムガヤルと担当医のニラジャに
「くびれるわよ、くびれるわよ、カーヴィになるわよ!」
と言われてた。

でも、そのときの自分としては、
(いや、私はすっきり健康になりにきただけであって、ダイエットしにきたわけではないから)
と、思っていた。

ヴァマナ前にも食事指導があり、好きなもの、よく食べるものを問診され、食べるとよろしくないものを教えてもらう。
中毒になるものは大体よろしくない。チョコとかクリームとか。

くびれ、そう、くびれ。
肉があるべき位置に納まっている。
それは内臓が正しい位置にあるから、そんなくびれ方。ただやせたときとは違う。
尻もあがり、乳もあがり、まさにカーヴィボディ。ビキニも怖くない。
維持できればの話だけど。

帰ってから苦労したことがいくつかあった。

○食事のこと

パンチャカルマ後の一ヶ月はベジタリアンにならなければならない。
インドのベジタリアンなのでラクトベジタリアンにあたる。
乳製品は大丈夫で、肉と魚と卵はだめ。
アーユルヴェーダで肉でだしをとったスープを滋養をつけるために飲んだりする。
なので、だしは魚と肉はOKということにした。
そうでないと味噌汁も飲めない。

日本の食事は重い。帰って二日目に日本式カレーを食べたらば、三口でおなかいっぱい。
もう食べられない。スプーンが進まない。
市販のカレールーに入っているラードやチキンエキスや保存料は重たい。
胃が沈みこむ。
四日目くらいには口内炎ができ、吹き出物ができた。
毒素出してきた人間の顔ではない。
一人前を無理して食べていたけど、よろしくなかったらしい。
量を半分にして、野菜スープをつけ、液体を半分、固形を半分のバランスにした。
そうして口内炎が直り、吹き出物が治るのに二週間かかった。

○寒さ

滞在したのが一二月で、インドでも冬ではあるのだけど、日本の気候でいえば秋
それも初秋。昼間なんかは灼熱。
そんなぬくぬくした気候から日本の冬は厳しい。
今年の冬は極寒だったからなおさら厳しい。
フリースまみれになって暮らしたけれど、寒さ対策は結構大事かもしれない。
ヴァータがあがると体が固く、もろくなるというけれど、それがよくわかる。
予想外にしんどかった。

○体力の回復

「パンチャカルマあとは体力が落ちる。だからそのあとはゆっくりしなさい。」
無理。だって一ヶ月休んでインドいったのだし。
なるべくゆっくりするように努力した。
早寝や食事や予定を空けること。
でも、想定する体力と行動量がつりあわない。
気絶するように寝てしまったり、疲れすぎで目の血管切れたり、口内炎ができたり、外出している途中で帰りたくなったり。
一ヶ月は、気を使わないとやっぱりしんどいし、ふつうにはできない。
通常量がこなせない。
強制終了するように寝てしまう。
無理をすると症状がでるので分かりやすいと言えば分かりやすい。
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by sonoheso | 2011-12-01 17:03 | へっぽこインド滞在記

脈をみて、体をみて、全部をみて。

旅行・地域

アーユルヴェーダの最初の診断は脈診だ。
そして毎朝毎晩の回診でも脈をとる。
どうやってやるんだろうな、と思いながら脈を取られていたら。
ドクターが「自分で脈を取ってみて」と言った。

ドクターたちは勘が鋭い。
秘密のイベントを企画して、秘密で進めていると、その現場に入ってくる。
特定の誰かにサプライズプレゼントを制作していると、その本人が入ってくる。
こっそり泣いていると気づかれる。

なにかそういう訓練でもしているんじゃないかというくらい勘が鋭い。
それもなんか医者の特質なのかもしれない。
そんな感じで脈の取り方を教えてもらった。
手首のとう骨の指二本下に人差し指、中指、薬指を置く。そして全体の印象を感じる。
体全体を巡ってきている脈をつかむ。

もちろん専門的にはいろいろあるみたいだけど、初心者なので、脈を感じ取るところから始める。
自分の脈を毎日とっていると、変化がよくわかる。
食べ過ぎた、動きすぎた、よく寝た、寝ない。
それらがはっきりと現れる。

同時期に入院していたほかのメンバーの脈も取らせてもらう。
夜の雨音みたいに静かな脈。暴れ太鼓みたいな脈。そわそわした猫みたいな脈。
全員違う。

お互いに計りあって、受けた印象をいうのもおもしろい。
言われたことは頷きあうところがある。
それを三日後一週間後にまたやる。
パンチャカルマが進むごとに脈がよくなる。
リズムが整い、力強くなり、三本の指に触れる脈が同じ強さになる。
脈は体の一部だけど、一部からでも体の全部がみえてくる。

そんな感じでお互いに脈を取り合って遊んでいた。
クリスマスも過ぎ、年末も近い頃。
日本では師走気分絶好調だろうけれどインドでは相変わらず、温く、牛がうろうろしているだけ。
「わー変わった」「元気だー」「なんかふらふらしてる」
と騒いでいたらば、24時間勤務のドクターが二人入ってきた。
一人は女のドクターは入院当初からいた。
もう一人の男のドクターは4日前くらいから登場したドクターで、背が高くハンサムで高そうな派手な服を着ている。
触診が強すぎて、質問が意味不明なので私は勝手に「ばか坊ちゃん」と呼んでいた。

女のドクターは私たちが触診しあっているのに目を留めた。
ちょっとこの女ドクターは調子良すぎるというか、裏表あるなというか、馴れ馴れしすぎるというかそんなところがある。
一同、目をあわせないようにする。
「あら、何をしているの? 脈診?」と女のドクター。
「ああ、うん」
「練習でもしていたの?」
「まあ。そんな感じ」
女のドクターは腕を差し出した。「あら、じゃあ私の脈をとってみて」
脈を取ってみて?
ドクターの腕は私の目の前にある。
ふふん、どんなもんかみてやろうじゃないって顔をしている。
これは挑戦か、挑戦だ。

私はカウンセラーだ。
脈だろうがなんだろうが情報を読み説いて、それを伝えるってんなら、得意分野である。
日本人ごときと舐められては沽券に関わる。受けてたってやろう。

と言うわけで、脈を取った。
感じるがままを言った。
私は英語が堪能ではない。
しかしそのときの入院メンバーにはプロの通訳さんがいた。
彼女の助けを借りて、彼女の精神状態や気にしているだろうこと、体のおかしそうな箇所を伝える。
「全部当たってる。何でわかったのよ!」女のドクターは目を丸くしていた。
「いや、脈でわかった」
「そうだ! 私の行動を観察していたからわかったんでしょう?」
彼女のことなんか興味ないから、観察しない。
そう説明しても、彼女は納得しない。
埒があかないのでこう提案した。
「じゃあ、後ろのドクターの脈診するわ。彼とは2回くらいしか会ったことないからね」

ばか坊ちゃんはにやにや笑いながら腕を差し出した。
いい骨、いい筋肉、いい時計だ。
小さい頃の栄養環境のせいなんだろうけど、マウシーさん(下働きのお手伝いさん)は細くて小さい人が多い。
140センチ台前半が平均だと思う。
ドクターたちは比較的体格が良い(そして賢そうな顔つきをしている)
けれど、160センチあるかな? という背の高さだ。

ばか坊ちゃんは日本人と遜色無い体格だ。
背は180センチ越えているし、ジムで鍛えているような筋肉の付き方をしている。
アメリカだったらアメフト部でチアガールのブロンド彼女がいるんだろう。
そういう種類の人間だ。
で、ばか坊ちゃんの脈を診ながら、感じたことを言った。
これは同僚のドクターがいる前で言うのはまずいかな? と思うこと
(たとえば勉強不足で焦っていて、身の置きどころが本当にない、とか、プライドみたいなのが邪魔してコミュニケーションに問題が、とか)
も伝えた。
それだけじゃ悪いので、素直さと体の丈夫さと頭はいいこと、も伝えておいた。

端から見ていた子の証言では、はじめはにやにやしていたばか坊ちゃんだけど
最後は目が潤んでいたそうだ。
「で、どうだったの? 当たってた?」と女のドクターが聞く。
「4割くらい?」とばか坊ちゃんは言う。

嘘だ。全部当たってるだろうと思った。
二人のドクターがでていった後、他の入院メンバーも
「あれは10割だったね」「ここで10割と言えないところがね」「ねえ」
と言っていた。私の思い上がりではないと思う。

脈診はそのあと回診によく来ていたドクターにもした。
脈診を教えていてくれてたし、
ちょっとしたお礼も込めて本気の脈診というかカウンセリングをした。
終わった後ドクターは「100%その通りだ。やり方教えて」と言った。
素直な奴だ。

あとびっくりすると脈は跳ね上がる。
嘘発見器もこの原理だな。感じたことを伝えていくと、本人の心当たりがあるところで脈が蛙みたいに跳ねる。おもしろい。
 
プロとして脈という情報の読みとりと解読を行えた。
インド人もびっくり。日本人の面目躍如である。
基本と原理の応用は大事だね。
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by sonoheso | 2011-11-30 17:44 | へっぽこインド滞在記

ほくろがとれる。いや、とりかけたけど……斜め上だよインド人。

旅行・地域

三週間に及んだトリートメント終了まで後三日。
年末。
でもインドは暖かいから日本人としては年末気分が盛り上がらない。
勝手にイベントを企画して(お年玉おみくじと日本語指さし帳制作)忙しいのだけど、
いかんせん曜日感覚もないし、頭はぼーっとしてる。
そんな中サダナンダ先生の回診時に、あごの下の大きなほくろをつままれた。
「このほくろをとることに、問題あるか?」
「ないです」
ということで、ほくろをとることになった。
クシャーラという治療で外科の範疇にはいるそうだ。
担当医するのも外科が得意なドクターだ。

ほくろをとるというのでてっきり治療室的なところでやるんだろうと思っていた。
私の病室のベッドで外科のドクターが真剣な顔で人のほくろを眺め、
私のベッドの上に注射器やアルコール脱脂綿やゴム手袋を並べだしたときにはびっくりした。
ドクターの後ろにはひよっこドクターが4人、これまた真剣に見学をしている。
 
ドクターがほくろをアルコールで消毒する。日本のアルコールより度数が高いのか匂いがきつい。
そのままためらいなく注射針でほくろを刺す。
「痛いわよ。でもちょっとだけ」
と刺した後に言われた。
確かにちょっと痛い。
釣り針にかかった魚の気分だ。
傷口が見えないので想像だけど、感触としては針を刺さしたまま傷口から薬草の粉が入れられた。
ぐりぐりと。

傷口に白い絆創膏を貼られ「二時間後にはがすように」とのお達しを受けた。
 若いドクターのギタンジェリが「私が絆創膏をはがします!!」と立候補する。
勉強熱心な若いドクターはこうしたちょっとしたことも観察と実践の場として活用している。
ドクターギタンジェリも真剣にはがし、真剣に傷跡を観察していた。
ドクターギタンジェリは仕事が丁寧。
はがすのも、傷跡を拭うのもやさしい。

そしてクシャーナ後のベッドにはなんかの薬草の粉やアルコール綿や血の付いたガーゼが落ちたままなのがインドらしい。
「マウシーに掃除させるから」
と、ほったらかしでドクターたちは帰っていった。
ちょっとは自分で片づけろよ、と日本人は思う。

これが三日続いた。
そして今日がパンチャカルマ最終日だ。
鏡で見ると確かにほくろは乾燥して縮んできた。
でもとれそうではない。
回診の時に部長のマダムガヤルに聞いてみる。
「あの、ほくろは本当に今日まででとれるんですか?」
「とれないわよ。小さくなるだけ。ちゃんととるにはトリートメントのはじめからやらないとね」
 と、院長のマダムガヤル。
 びっくりした。
 本当にびっくりして、
「そうですかありがとうございます」
と日本語で礼を言っていた。
三日でとれるのかと疑問だったけれど、ヴァマナだって一日で終わったし、アーユルヴェーダはそんなもんだろうと思っていた。
甘かった。インド人は斜め上だ。
ほくろとれないってさ!
「今度きたときとりましょうね」マダムガヤルが微笑んだ。
 
パンチャカルマの治療は大晦日で終わったけれど、
私は帰国が一月四日だったので、その日まで病院に滞在した。
元患者という立ち位置だ。

ドクターギタンジェリの勉強のためか、クシャーナは追加で二日やってくれた。
アシスタントとしてドクタースミタがついた。
ドクタースミタは小柄で笑顔がかわいくて日本人に興味津々。
気遣いが細かい二人組だ。

ドクターギタンジェリは施術が丁寧だった。
シーツが汚れないように顔の下に布をしこうと思いついたらしい。
それは画期的な思いつきだ。
今まではこぼれっぱなしの散らかりっぱなしだった。
ドクターギタンジェリは適当な布がないと眉をしかめ、
ドクタースミタが干してあった私のハンカチをいい笑顔でもってきた。
ドクターがしわを伸ばしながら顔の下にハンカチを敷く。
「私の使うんだ・・・」と思ったけどつっこめなかった。

ドクターギタンジェリは薬草の粉をぐりぐり入れる。
しっかり中まで詰め込む。
絆創膏貼った後、ちゃんと薬草の粉を掃除していった。
 
帰国後、乾燥していたほくろがとれた。
大きさは三分の二位になった。
たいして痛くもなく、粉詰めただけでとれた。
これは初日からやったら、本当にとれてたと思う。

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by sonoheso | 2011-11-29 18:00 | へっぽこインド滞在記

インドには独自のタイムスケールが存在するのだ。

旅行・地域

今回滞在したのは大部屋。
五つベッドがあり、一つはバスティとかに使用するパンチャカルマルームで、四人患者さんが入れる。

最初の一週間は大部屋という名の個室。
好き放題やっていた。
歌ったり、好きな時間に寝て起きて。トイレも鍵なんかかけない。

二週目からは日本人やドイツ人がはいり、少し自制。
寝る時間は、まあ自由。
大体一〇時前後に眠くなっていたので、勝手に自分のブースの電気を消して休む。
朝は少し面倒だ。
四時とか五時に目が覚めても、しばらくじっとしている、歯を磨き、ヨガをやり、六時過ぎたらば、カーテンを開け、電気をつける。大部屋の扉を開ける。
この扉を開けておかないと、マウシーさん(メイドさん)たちがお湯をわかせないし、朝食も運べない。

七時にハーブティーがくる。
その日の予定に合わせて入れる砂糖の量を加減する。
大バスティ(煎じ液で排出)は朝食をとってはいけないので砂糖多め。
小バスティ(オイルで栄養)は朝食をとっても大丈夫。
なので、ふつうの量。
朝食のくる時間はまちまち。

というかすべてのスケジュールがまちまちだったりする。
施術も回診も全部。
インド人はよく「一分待て」とか「一〇分待て」とかいうけど、絶対にその時間ではこない。
インドタイムはゆっくり流れる。

で、朝食は運が良ければ八時半、悪ければ一〇時近く。
大バスティだと施術後なので一一時近い。
しかも朝食は冷めているので切ない。
朝はお好み焼きみたいなのとかマサラ味のプティングとかココア汁粉みたいなものがでる。
おいしい。スパイス利いていて本当においしい。
あと必ずチャイがつく。
このチャイがまた絶品。
そこらへんをうろうろしている牛からとったオーガニックミルクは味が濃い。
飲んでるとまったりしてきて、一分が二〇分でもしょうがないかと思える。

モーニングティーのあとは朝の散歩。目的地サマーディーまでは歩くと一五分くらいかかる。トリートメントでよほど疲れていない限りは三〇分以上は歩く、歩く。

帰ってきて八時から八時半くらい。
そのあたりに朝の回診がある。
ドクターたちが血圧をはかり、脈診をし、なにか問題ないか聞いてくる。
とくに排泄物は重要で、何時にどんな形状で、どんな色で、どれくらいでたかを告げなければならない。
他には夢やら、かゆいところや、トリートメント後の変化とかを伝える。
ドクターによっては舌診や触診もする。

日によるけれど九時過ぎくらいに院長の総回診がある。
脈診をされ、触診をされ、何か問題ないかを聞かれる。
ここでいろんなことを頼むチャンス
。症状はもちろんだけど、ベッドが固いの、夜の工事がうるさいの、精算はいつにするかだの。
基本的にトップダウンなので院長かサダナンダ先生がOKだせばすぐ変わる。
ださないと永遠に変わらない。
あと、日本のお医者さんと違うのはこちらからいろんな症状やリクエストをしないといけないこと。
価値観や、生活が違うので、あちらの人は気にならないことも日本人は気になる。
言ってみて変わることは変わるし、無理なことは無理。
でも言ってみないとわからない。
総回診はいろんなドクターがくっついてきて一〇人くらいの集団なので、はじめのうちは緊張した。

トリートメント開始時間は内容やその日の患者さんの数によって違う。
ビックバスティのようなご飯を食べないもの、ヴァマナのような大変な治療の時は速い。
九時、下手したら八時にはじまることもある。
逆にスモールバスティの時はあとまわしにされるので一〇時から一一時半くらい。年末で混んでいたときは一二時近くになっても始まらなかったりした。
あんまりにもおなかが空いたときは、ドクターに訴えるとおやつがもらえる。
甘い雷おこしのようなお菓子でランジギみたいな名前のもの。
丸いボール。これを二個。
おなかによけいなものがあるとうまくトリートメントができない。
のでおやつを食べるとまた待たされる。
尾籠な話ですが、朝にうんちがでていないとバスティは注入するのが大変。
邪魔するから、でてないものたちが。
朝にすっきりでているとバスティもスムーズで、あっと言う間に終わる。

トリートメントが終わって一時間ほど休んだあと、シャワーを浴びる。
マウシーさんにお願いして、バケツにお湯をもらい、体を洗う。
大部屋がフルに埋まっていると午前中にシャワーができないこともある。
そのときは昼食後。

昼食は一二時半くらいに調理場から届けられる。
保温ジャーにはいった五段のステンレス製のお弁当だ。
昼が一番消化力があるとアーユルヴェーダでは考えるのでお昼は一番量が多い。

食事は集中して、食べる。
白湯を飲みながら、よく噛んで食べる。
よけいなことをしない。それも治療。
でも大部屋だと、入り口においてあるローテーブルで集まって食べることもあった。
昼はトリートメント終了の時間がまちまちなので各自食べることが多かった。
でも一人で食べる方が食べる限界がきちんとわかって良かった。
日本にいるときは頭で食べていて目の前に並べられたら、とりあえず全部平らげる。
食べ終わってから、「食べ過ぎた~~」と後悔する。

入院してから二日目に、はたと気がついた。
「あれ? 私もうおなかいっぱいだ」
で、残す。ヴァマナ後はもっと顕著。
箸が進まない。ぴたりと止まる。
目はもっと食べたいけど、おなかはアグニはもう無理という。
ちゃんとそれに答えられれば問題ない食後を過ごせる。
欲張って二口三口食べ過ぎると、覿面におなかが痛くなる。
ちゃんとおなかに聞くのは大事だ。

で、昼食終了後、休憩する。
様子を見計らって洗濯する。
午前中はトリートメントがあるから、静かにしなくてはいけないので洗濯禁止だ。
洗い終わったら部屋の外の洗濯物干しにかける。
病室に濡れたものを干していると、ドクターから不衛生だと注意される。
でもパンツとかはハンカチで隠して窓辺に干したり、ロッカー内に干した。男のドクターも回診でくるのであんまりおおっぴらはためらわれる。
人によってはパンツもタオルも関係なく堂々と干していた。それは個人差。

午後にお掃除がくる。掃いて、床拭きして、ゴミを捨て、人によっては棚や桟を拭いてくれる。

週に二回くらいは二時くらいにサダナンダ先生の総回診がある。
脈診と触診をする。
脈診が一瞬すぎて、不安になるけれど、体調に変化があるときはじっくりとってくれる。
なにがあっても「ノープロブレム! グッド!」だけど、新しい薬を処方されることもある。
サダナンダ先生のときも、おそれずにリクエストすれば、聞き届けてもらえることもある。 
脈診名人だから、脈でなんでもわかるし・・・と遠慮してしまったりするけれど、言うことで解決されることもある。
乾燥肌とか、ほくろもう一個とって、とか。
サダナンダ先生の大物オーラに負けてはいけない。

四時過ぎにはおやつが運ばれる。
このころになるとおなかが減ってくる。
お昼におなか一杯食べても、消化に軽いものなのでこの時間になるとぺこぺこ。
チャイと、フルーツもしくは軽いスナックがでる。
例えばマサラ味のポップコーンみたいなもの。見た目が虫に似ているけれどおいしいし、うれしい。

おやつの後には夕方の散歩。
サマーディに行ったりメディテーションルームで瞑想したりする。
夕焼けがきれいで、地面が暖かくて、ついつい長く外にいることになる。
オイルで頭が湿っているときは風が厳禁なので、帽子や頭にかぶるショールは必須だし、丁寧なドクターに見つかると耳に脱脂綿を突っ込まれる。
犬も夕日をみていたりする。
学生さんたちがクリケットをしている。
藪にはいるとうんこやサソリがいるので危険だ。
人によっては立派なクリスタルを拾える。

七時過ぎに夕食になる。
昼よりは量が少ない。
やはり保温ジャーに入っている。
それぞれをお盆の上で全部混ぜ合わせて食べる。
それがインドスタイル。混ぜれば混ぜるほどおいしくなる。

七時半から九時くらいのあいだに夜の回診がくる。
ドクターによってくる時間が違う。
血圧と脈診と問診。基本は朝の脈診と同じ。
治療や症状の疑問はつっこんで質問すれば答えてくれるけど、はじめは「ノープロブレム」。
場合によってはお薬が処方してくれる。頭痛薬や湯たんぽやうがい薬がでた。

夜のお掃除は九時過ぎから始まる。掃いて、床を薬剤で拭く。
時によっては眠くてしょうがない中、掃除が終わるのを待つ。

一〇時をすぎたらば大部屋の扉の鍵を閉める。
イベントがあるときはそれが一二時くらいになったりもするけれど。
後は各自好きな時間におやすみなさい。


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by sonoheso | 2011-11-28 17:35 | へっぽこインド滞在記

シロダーラは油をたらすもの、そんでびりびりするもの。

旅行・地域

3週目のトリートメントはシロダーラだった。
写真でよく見る温かいオイルをおでこにたらすあれだ。
ストレスに良いらしい。
おでこにオイルがたれているだけなのに脳味噌がマッサージされている感じで気持ちがいい。
うっかり寝そうになる。

でも、こういう単純な気持ちよさも一日二日のこと。
毎日オイル漬けで、オイルがどんどん中に入り込んでいくと体が重ダルくなる。
カレーを食べた皿に洗剤をかけて放っておいたら、
汚れがふやけて、はがれて、濯ぐだけ簡単みたいなことが体内で起こっている感じ。
アーマ(毒素)が浮き上がって、ドーシャ(ヴァータ、ピッタ、カパのこと)に変わり、排出されるのがわかる。

排出されるのはいい。
デトックス祭りだもの。
気持ちはそうでも頭は重いし動きたくない。
それでもバスティはしているから、アグニ(消化力)は小さくなる。
アグニが小さくなると食が細くなる
食が細いと体力が落ちる。
動けないのは当然だ。

立ってるのつらーい、大声出すのつらーい、という状況だ。
そんな中でも、年末年始のイベントを張り切る。
張り切ってインドの先生方の前で南京玉簾をする。
サダナンダ先生の前でも南京玉簾を披露する。
元旦は南京玉簾4回公演で、自分が入院患者なのか芸人なのかわからなくなった。
冷や汗かいたってバスティで具がでたってなにしたって芸人はやるときはやらねばならない。

そうしてしんどい日々を越えシロダーラ五日目。
今日もだりいなと思いながら堅い治療台に寝転がる私。
オイルをおでこにたらすドクターマラヴィカ。
相変わらず雑で瞼においたローズウォーターパックがずれている。
でも自分で直すからいいのだ。

なにかが違う。
いつもと違う感覚がある。
頭のてっぺんから右の指先、手も足も、ビリビリする。
弱い電流が走っているみたいだ。
それが左にも巡って体を一周している。
電池になった気分だ。
このビリビリはサマーディの聖なる石をさわったときと同じフィーリング。
温泉みたいにあったか気持ちいい。
そうして肉体が孫悟空の頭の輪エリアからゆるむ。
せき止められていたダムが壊れ、水が一気に流れ出したみたいに何かが開通した。

六日目、七日目とシロダーラをしてびりびりが始まるのが速くなる。
最後の日なんて終わってからもずっとびりびりしていた。

シロダーラをしている間と後はちょっと感情的で泣いた。
普段は涙を流すなんて水分の無駄だ、ぐらいに思っているのに目から何かがでる。
昔の嫌な上司の偉ぶった態度を思い出して怖くて泣いたり、
遅刻したドクターにきれている患者さんをみて怯えて泣いたり、
カースト制度の話をしているうちに悲しくなって泣いたり、
ちょっと頭がおかしい。

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by sonoheso | 2011-11-27 18:00 | へっぽこインド滞在記

インディアンクリスマス。しかし、彼らは何かを勘違いしている。

旅行・地域

インドでのクリスマスは
どうせヒンディー教には関係なしだから豆団子食べさせられて、
ドクターたちに「それなによ?」みたいに言われるんだろうとおもって、
同時期に滞在している日本人でクリスマスを楽しむべく、
クリスマスイブにキャロリングを企画した。

キャロリングというのはクリスマスイブにチビッコたちが賛美歌を歌って家々をまわる行事だそうで、クリスチャンの佐藤先生の発案だ。 
私たちはチビッコではないけれどカレンダーで作ったトンガリ帽に手にはキャンドルを持つ。
私は着物で南京玉簾を手に持った。
みんなで産婦人科で「きよしこの夜」を歌って赤子に爆泣きされたり、
コテージ棟でオーストラリアンやカナディアンの拍手を貰う。

コテージから出てきた西洋人の前、
懐中電灯で照らされ「もろびとこぞりて」や「We Wish a Merry Cristmas」を歌い、
南京玉簾を披露する。
手に下げたかごから、インセンスと折り紙の鶴を配ると、みんな笑顔、我等も笑顔。

次の日クリスマス当日、朝からドクターたちはそわそわ
メリークリスマス!
メリークリスマス!
言いながら、今日はケーキとパーティーあるから楽しみにしていてね!
とウキウキしている。
パーティー会場は大部屋から二つ隣の教室で窓はガラスだから丸見え。
なのに学生さんやドクターたちはこそこそ飾り付けしている。
もてなされる側のマナーとして、見えないふりをする。 

夕方にパーティー開始。
インターンや看護師さんたちはおめかしして、いつもより豪華なサリーやパンジャビを着ているし、私たちにも化粧して髪を結っておしゃれしろと発破をかける。

パーティー部屋に入れば風船や星、色とりどりのモールで飾り付けされ、なぜだかお盆の上でキャンドルが一ダースくらい燃え盛る。
さらに蓮のキャンドルがくるくる回ってハッピーバースデーを電子音で奏でている。
たぶん、インド人は何かを勘違いしている。

患者の子供二人がクリスマスケーキを切ると、
くす玉が割れキラキラ紙やキャンディが散らばる。
それをきっかけにインド人たちは一瞬でテンションを振り切り、
クラッカーを連射し、壁の風船を割りまくり、雲スプレーを振りまきまくる。
西洋人もイエーイとばかりに喜ぶ。
そんな中、床に落ちたキャンディを片付ける日本人たち。
踏んだら割れるのが気になってしょうがない。
さすがお米一粒にも神が宿る国の民。

カラフルにアイシングされたケーキは三つあり、
一つのケーキに「サンタ マシュー」とかかれていた。
インドでサンタはマシューという名前なんだろうか? 気になる。

ちなみにパンチャカルマ中は病院でだされるもの以外は食べられない。
原則肉魚禁止のベジタリアン、スパイス豊富ないわば薬膳料理だ。
滞在している欧米人は厳格なビーガンの方も多いのでケーキはビーガン仕様。

そうこうしているうちに病院から私たちへのプレゼントを渡される。
中にはインドらしいファブリックのトラベルケース。
まさかクリスマスプレゼント貰えるとは思っていなかったので嬉しい。

あとは演芸タイムだった。キャロリングで歌ったものを再度歌ったり、
南京玉簾したり、
学生たちがインド応援歌を歌ったり、
カタックを踊ったり。
締めにここプネは学問の神ガネーシャの街なのでドクターと学生さん全員でガネーシャシュローカという祭りのときに唱える詩歌をがなり終了。

と思いきや、外に連れ出され花火をする。

いつもはひよっこのインターンたちのお姉さんお兄さんぶり
(でもケーキをおいしそうに食べる姿は可愛い)
と二十歳の学生さんの無邪気さ仲の良さに感動した。
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by sonoheso | 2011-11-26 18:14 | へっぽこインド滞在記

十二月の満月は神様誕生日、ダッタシェンティ。

旅行・地域

十二月の満月はダッタ神の誕生日でダッタシェンティというお祭りだ。
そのお祝いの儀式に参加した。

開催場所はサマーディ。
マハラジの眠るお墓とマハラジが啓示を受けた聖なる岩があるところだ。
毎朝きれいに掃除され、お祈りや瞑想をする人が訪れる清らかなところである。
なんかよくわからないけど、温泉みたいなあったかい波動というか見えないなんかがある。
岩に手を触れるとびりびりする。
感電しているわけでもないのに不思議なことだ。

そんな神聖な場所に今晩はクリスマスツリーな電飾が巻きつけられていた。
古式ゆかしい花飾りや蝋燭でなく四色の豆電球。
お墓や岩は赤や黄色やピンク色のお花がインドチックな幾何学模様に飾られていた。
なんだか安心した。

三代続く僧侶の家系に生まれたドクターが鮮やかな赤紫のドーティ(インド式ズボン)一丁に上半身裸でチャンティングをあげる。
三〇分くらいのチャンティングを暗唱するのだ
インドの頭がいい人は記憶力が半端ない。

満月でお花いっぱい飾ってお香焚いて、
ココナツのゆり籠を百八回揺らす。
インド人たちはチャンティングの途中で手拍子を始めたり、
立ち上がって回ったりする。
盛り上がってやっているのではなく、定められた振付のようだった。
なんだかすごく異文化だ。

滞在中に遭遇した異文化といえばプージャ。
サトヴィクアーユルヴェーダスクールの佐藤先生がプージャ(神様への願掛けの儀式)をした。
一万円くらいでできるのだけどインドだから本格的。
ブラフマンの僧侶でもあるドクターがえんえん一時間チャンティングする。
途中お香焚いたり、咳こんだり、花を撒いたり、鐘をならしたり、腕立て伏せをしたり
(ちゃんとした礼拝の動作だ)
なかなか華やか、なかなか荘厳。
そしてチャンティング後に雌牛に餌をやる。

インドでは牛さんの中には全部の神様がいると考えるらしい。
300いくつの神様が同居している。
牛さんの腹(かどうかは知らないけれど)にわんさかいる。
そりゃあ牛とかモツとか食べられないわけだ。

神様が全部いるわけだから餌をやることが供養というか祭礼になる。
儀式の途中、つながれた木を引っこ抜いて脱走していた角が赤く塗られた雌牛はかなり食欲旺盛で草(おそらくトウモロコシ)を引っ張りまくりだった
。牛の平たい歯に草が噛み砕かれるのを見て、これがお祝いかとしみじみする。
牝牛に触るとじっとりと汗ばんでいた。
最後に脳みそが蕩けそうなくらいおいしいミルクバルフィをプラサードとして振る舞われて、おしまい。





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by sonoheso | 2011-11-25 18:10 | へっぽこインド滞在記
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